2011年1月20日木曜日

二章 風早社中 最高顧問決定

北条出身の尊敬するとある作家の先生を説得に東京まで行ってきました。僕が代表に担ぎ出されたNPO「北条鹿島の風早社中」の顧問として、どうしてもその人の名前を掲げたかったのです。 

面識はないし、あてもありません。知り合いから事務所の電話番号は入手していたのでそれを頼りに「ダメでもともと!」と、片道850kmの道のりを車で走った次第。 

とある作家の先生とは「早坂暁」先生。 

モンテカルロ国際テレビ祭シナリオ賞、芸術祭優秀賞、芸術選奨文部大臣賞、放送文化基金賞、放送文化賞、向田邦子賞、新田次郎文学賞、講談社エッセイ賞、と挙げるときりがない。紫綬褒章、勲四等旭日小綬章も受賞、賞という賞を思うままに受賞していますが、難しい本ではなく、理屈抜きに面白い。 

「賞なんて興味ないね!」と言わんばかりに、映画シナリオ、戯曲、舞台演出、ドキュメンタリー製作にまで活動が及ぶからこれまたすごい。 

早坂先生の作品は、エッチで、不良で、大きなものに立ち向かう反骨精神があって、人情味に溢れていて最後にホロリときます。僕の好きな要素が満載なのです。心の目の細かい所からゆっくり深いところに染みこむような感動があります。初めて読んだ彼のお気に入りの作品は「ダウンタウンヒーローズ」、「花へんろ」も大好きですが、他のどの作品も入り込めます。 


東京に着いた日、聞いていた電話番号に何度電話するも留守番電話。翌日も留守電。仕方なくメッセージを残しておこうと、もう一度電話をすると予期せず女性が出たのでびっくり! 


「10分でいいから先生に会ってお話したい事がある」と伝えると、用件は伝えるがここに先生はこないのでどうなるかはわからないと(そりゃそうだ)。 

電話した日、結局連絡はなし。

その翌日も一日中連絡はなし。 

その翌々日も14時をまわっても連絡はなし、、、。 

「またいつかご縁があればどこかで会えるだろう」とあきらめて、早い時間から焼き鳥屋で一杯やろうと銭湯に行く用意をしていたら、14時半に電話が鳴りました。 


「今浅草ですが、1時間後に渋谷のホテルでお会いしましょうか?」 


やった。

とりあえず、コーナーキックゲット! 


そのホテルは、今から21年前、渋谷公会堂で行われたアマチュアバンドコンテストの全国大会で優勝し僕の人生が大きく変わった夜に宿泊したホテルで、なにか運命的なものを感じました。 


21年振りに開いたドアの向こうには、早坂先生とお付きの女性がお座りになっていました。 


丁重にご挨拶をし、緊張しながらもここぞとばかりあれやこれやと話をすすめ、気づけばすでに90分が経過。最後に気張って言った言葉は、 


「田舎で待つ同志たちに良いお土産を持って帰りたいのです。どうか僕らの最高顧問に、いや、親分になってください!」 


「はい、わかりました。けど、最高はのけて、顧問か字引、辞書くらいにしておいてください」 


やった。 


翌日は原宿の展覧会のレセプションにもお誘いいただいた上、銀座に場所を移し一杯やりながら、生涯の親友となった渥美清さんとの出会いの話や今の仕事に就いたきっかけ、芸術家中川幸夫氏のこと、小説のこと、その他いろいろ。一言一言を聞き逃さないように終始耳の穴は全開。どの話も珠玉のような貴重なお話で、ほんとうに夢のような一時。帰り道、銀座の街の灯がいつもよりキラキラ感じました。 



それにしても早坂先生歌上手い。「旅姿三人男」あれはいい。女性の合いの手もいい。82歳で普通歌えませんよ、あんなには。 おちゃめでチャーミングでやっぱ不良な82歳。高い高い目標のお方です。早坂親分とマネージャーの岩井さん、素敵なご縁に心から感謝。先生の持つ知識、経験、今後たくさんのことを吸収させていただきます。 


「ダメでもともと」、学生時代からずっと大事にしてきたこの言葉、未だにやっぱ強いです。車でしんどい思いをして東京まで行った甲斐がありました。