2011年1月30日日曜日

十一章 道場六三郎さんと北条

昨日NHKテレビで道場六三郎さんの特集番組をやっていました。


道場六三郎さんと言えば「料理の鉄人」として一世を風靡しましたが、松山によくおいでになっているようです。

昨日の番組の中でもありましたが、道場さんは特に北条の海で捕れた魚を気に入っているらしく、早朝に北条魚港で魚の買い付けをしているシーンがありました。



道場さんの東京銀座のお店では北条の魚が使われているそうです。


そういえば去年地元の人から、「ラジオで北条の魚が美味しいと言うたらいかんよ。もうすでに松山の業者が北条まで買い付けに来て地元の人が買いにくくなっとるんじゃけん」と言われたことがありました。


北条の海で美味しい魚が豊富に捕れる理由は北条独特の地形で説明がつきます。高縄山に降り注いだ雨はバクテリアなどたくさんの栄養を含んだ水とともに河野川とその支流から瀬戸内海へと流れ出し、多種多様の魚が捕れる豊かな北条の海を作っています。


また、北条の海は白砂。白砂の中に潜むキビナゴを食べたタコや魚は甘みがある。どろの海に住む魚よりも臭みがなく美味しいと言われます。


全国でも評判の道場六三郎さんの作る美味しい料理を支えているのは、北条の魚たちなのです。

2011年1月29日土曜日

十章 罪を憎んで人を肉まん

地元の食材を使ってうまい物を作れないか? と、突然ひらめいたのが「肉まん」。関西では「豚まん」と呼びます。 


僕の知る限り、松山でおいしい豚まん屋さんというのは聞いたことがありません。北条地区は土が良いため、甘くて大きなタマネギが育つので有名なのですが、この「もみじ」と呼ばれるタマネギを使った豚まんを作れないか?と、早速今日一日がかりで試作を繰り返しました。 



皮ももちろん手作り。皮はバッチリ決まったのですが中の餡が問題。横浜中華街で売っている堅めでジューシーな餡ではなく、大阪の名品「551」のような片栗粉の入った豚肉とタマネギだけのシンプルな餡が僕の理想。ただ、それプラス、真似をされないためにも何かオリジナルな隠し味にこだわりを持ちたいと、ナンプラーを入れてみたり、ショウガや●○を入れてみたりと試行錯誤。 




結局ナンプラーやショウガなどは必要なく、やはりシンプルなものが一番うまし。素材の良さで勝負するか、、、。(意外にも北条山本農園さんのトマトを入れたのがうまかった!) 



肉々しい豚まんはあまり好きではなく、タマネギちょい多めで、片栗粉の量のバランスもう少し考えたいし、商品開発にはまだ時間がかかりそうです。 

味に納得がいけばその時に発売に踏み切るやも知れません。原価計算したところ、欲を言えば一個200円は欲しいところですが、100円〜150円の予定。しかし発売予定は未定。今しばらくお待ち下さい。

2011年1月28日金曜日

九章 恋人の聖地 鹿島

北条鹿島は、石鎚山と広島県宮島の厳島神社を直線で結んだちょうど真ん中辺りにあります。



「その昔、石鎚山の神様と厳島神社の神様は恋人同士であった」と聞いたことがありますが、真ん中にある鹿島で神様が落ち合っていたとしたらロマンティックじゃないですか?

鹿島横の海にある夫婦岩や鹿島内の「縁結びの祠」にも何か秘密があるような、、、。

偶然かも知れませんが、偶然だからこそ「石鎚〜鹿島〜宮島」のラインは神聖でありがたい気がして成りません。ゴールインしたいカップルは要チェックの場所です。

2011年1月26日水曜日

八章 残念な取り壊し

JR北条駅前の古い伊予鉄バスの待合所が1月30日(日)に老朽化のため取り壊されるそうです。



この建物がなくなれば駅前に昭和レトロっぽい建物は皆無です。残念に思い、熱心に写真を撮っているとこのウラに住む松浦さんとおっしゃるおじさんが「この待合室は昭和26年に建てられたこの辺では一番古い歴史の証人よ」と、いろいろ説明をしてくれました。


建物は伊予鉄道の所有で土地は隣町に住む地権者の土地だそうです。「ほんとは残して欲しいんじゃけど、こう古いとリフォーム料金も高いじゃろうから難しいじゃろなあ」とおじさん。


この待合所の中に、農家の納屋に眠っている昭和3、40年代まで使ってたテレビや冷蔵庫、扇風機などの家電製品をオブジェとして飾って、昭和の歌謡曲を小さなスピーカーから流し、町の懐かしい写真なんかも飾ってバスを利用するお年寄りにタイムマシンに乗って昭和に逆戻りしたような気分になって若返ってもらおう!と思っていた矢先の取り壊しの知らせでした。


建物を残すことは出来ないか市役所に問い合わせると、「文化財ではないし、歴史的な建造物としては中途半端な年代の建物だし、地元の住人がどうしても残して欲しいというような運動がない限りは無理でしょうな」と、、、。無念。


松浦さんのご実家はこの駅前で「風早自動車」という北条初のタクシー屋さんを営んでたそうで、昔の懐かしい写真を見せてくれました。昭和19年の写真。



アップで見てみると、お母さんにだっこされているこの赤ちゃんが松浦さんだそうです。




昭和19年と現在の北条駅前の写真、同じ角度から映したこの二枚の写真、比べて見てみると面白いです。駅舎や家の屋根の高さや角度が同じですね。



昔の写真はほんとタイムマシンです。地元の皆さんにこういう懐かしい写真をたくさんお借りして、駅内や駅前にいっぱい展示するのです。ゴーストタウンのような駅前に少しでも人の気配と笑顔を取り戻せるように、まずはこういう小さな石から積んで行こうと思います。

七章 最初の困難

理事候補から、「風早社中の理事を辞したい」との申し出がありました。理由を知りたかったので直接会って話をしました。

「昨夜の話し合いで、地元の縦のつながりを軽視しているような気がしたから」というようなニュアンスの理由でしたが、彼は地元で商売をしていることもあり、出しゃばると風当たりが強く周囲に気を使ったのかも知れません。


彼曰く、「北条にはいろんな団体があり、なかなか一枚岩になりにくい地域。それぞれの団体にちゃんと挨拶をしてから活動をスタートしなければ協力が得られない」とのこと。ごもっとも。どの団体のどの方にでもいつでも挨拶に伺う用意はあります。


商工会の代表には理事や顧問の人事が全員決まってから名簿を持って挨拶に伺う予定でしたが、先走ってラジオ番組でまちづくりプロジェクトの話をしてしまったのが、「急にやれば皆に反感を買う恐れがある」ということでした。「なぜそんなに急いでやるのか?」とも。


酒飲みは持久力に劣ります。やる気があるうちに瞬発力でやった方が良い方向に向かう場合が今まで多かったので急いでやりました。あと、年度末までに市や県に書類を提出した方がいいと思ったからです。


書くのもつらいですが、今の僕の仕事と北条の町の活性化問題はあまり繋がりはなく、得することもありませんし、もちろん政治家に立候補するつもりもありません。このHPの書き換えや、会員になっていただいた方の名簿作成と連絡、書類制作、北条のまちづくりについての要望を松山市の担当者に直接告げに行ったりと、仕事の合間を見つけてすべて今はボランティア、経費も持ち出しでやっています。市からの補助金や大口のスポンサーからの助成金をもらえるようなうまい話も今のところありませんし、一人1000円の年会費は、年に数回送る郵送費、コピー代などですぐに底をつくでしょう。もし、「大きなお金が動いていて僕やこのNPOがそのお金を搾取しようとしているのでは?」と思っている方々が地元にいるとすれば大きな勘違いですし、とても困ったものです。

NPOはボランティア団体ではないので自らお金を稼いで自力でまちづくりに運用していかなくてはなりません。補助金が出るに越したことはありませんが、それありきで考えている団体ではありません。どうやってお金を稼いでいくかは今後の課題です。


年末に、「流れ」で僕が代表になったこの団体、もし他に代表になりたい方や代表や理事にふさわしい方がいれば僕は快くバックアップに廻りますから、交代していただいても結構です。面子やジェラシーは北条まちづくりの何の得にもなりません。鹿島の復活(鹿島フェリー料金の値下げや鹿島の周囲の通行許可)、北条駅前の整備など、既存の団体が今まで出来なかったことを担うために作った風早社中です。この目的に向かって皆が協力し合い一枚岩になってやっていきたいのです。

2011年1月24日月曜日

六章 仮の理事会開催

風早社中会員60名を越えました。
感謝!4月までには会員証をお送りします。


本日夜8時より、北条名物、元祖鯛めし「太田屋」さんの三階にて理事候補、地元の有志6名が集合し初の仮理事会を開きました。


太田屋さんの入口の自動ドアが開くと、僕と目があった女将さんがお客に気遣い小さな声で「三階でございます」と言ったのが、幕末に倒幕派の素浪人をかくまう寺田屋の女将のような感じがしたので、調子に乗ってそっと三階まで上がってゆきました。


今日欠席の2人以外の6名全員がそろった後、今までの経緯と「住民もお客さんも皆が得するまちづくり、皆が楽しいまちづくり案」を説明し、法人化するか?それとも今のままでいくかなどの話し合い、年間の事業計画と理事の人事案などを皆で話し合いました。


4月には鹿島において鹿島へのご奉公とお花見を企画しています。会員の皆様にはまた改めてご案内いたしますね。お疲れ様でした。

2011年1月23日日曜日

五章 ジブリの絵職人きたる。

愛媛児童版画コンクール「天才チルドレン」の審査員として松山にお越しになっていた日本を代表するアニメーション美術監督、ジブリの絵職人こと「男鹿和男」さんが北条にお越しになりました。

 


男鹿さんは、北条鹿島の風早社中の顧問になっていただいているエヒメデザイン協会の山内会長の東京のデザイン専門学校時代の同級生。その縁あって松山にお越しになったらいつも飲み会に誘っていただいています。

この日は風早社中の皆で男鹿先生を囲んで、小説「花へんろ」の舞台であった居酒屋「勧商場」で飲み会。 

男鹿先生は謙虚でやさしくて魅力的なお方なんです。癒されます。 


「僕のことを先生と呼ぶならもう来ないよ!」と言われ、「わかりました。男鹿のおじさん!」と言うと、「おじさんもしっくりこないなあ〜(笑)」と秋田なまりで。 

男鹿さんは僕らが子供の頃に見た日本のたくさんの有名アニメを手がけてきました。 

*ど根性ガエル 
*みなしごハッチ 
*ガンバの冒険 
*巨人の星 
*侍ジャイアンツ 
*あしたのジョー 
* はじめ人間ギャートルズ 
*樫の木モック 
*元祖天才バカボン 
*エースをねらえ!他 

また、 

1988年 となりのトトロ 
1989年 魔女の宅急便 
1991年 おもひでぽろぽろ 
1992年 紅の豚 美術 
1994年 平成狸合戦ぽんぽこ 
1995年 耳をすませば 
1997年 もののけ姫 
2001年 千と千尋の神隠し 
2002年 猫の恩返し 
2004年 ハウルの動く城 
2006年 ゲド戦記 
2008年 崖の上のポニョ 

など、ほとんどのジブリ作品の背景美術の要として宮崎駿監督を支えています。 


東京を皮切りに全国9都市、松山でも開催された個展「ジブリの絵職人・男鹿和雄展」では、なんと約100万人動員という驚くべき数字を記録。 

2009年、男鹿さんを招いて松山市堀之内で行われた写生大会には1000人近くの子供たちが参加し、たくさんの笑顔の花が咲いたこともあり、今元気のない北条地区を盛り上げるために、「鹿」つながりで、北条地区の鹿島でも男鹿和男写生大会をやってください!と何度も頼んでおきました。 


近くきっと念願叶う日が来ると思います。 


下写真の男鹿和男さん、「北条鹿島の風早社中のHPに写真を載せたいので写真を撮らせて頂いてもいいですか?」とおことわりをし、「こんなので良ければどうぞどうぞ」とおっしゃっていただいた直後にパチリ。 




この夜は、日本酒を飲んでご機嫌だった男鹿さんに、アニメ制作中の数々のエピソード、宝物のような裏話と彼の哲学を聞かせて頂きました。6時半から始まった飲み会も気づけば深夜0時をまわっていてびっくり。楽しい時間は過ぎるのが早いです。 


男鹿先生、いや、男鹿さん、また必ず遊びに来てください。今度は桜の頃に来松予定だそうです。

2011年1月21日金曜日

四章 素人の出店者募集!

*1月21日(金)今日現在で会員登録50人を越えました。ありがとうございます。




(仮企画)JR北条駅 店舗 「貸し棚」プロジェクト 出店者募集!
のお知らせ





JR北条駅構内のコンビニが閉まって一年近くになります。学生も多く使うため無人よりは店舗があった方が心強いです。また、北条の情報発信の場として活用するには最適の場所。

そこで、このJR北条駅構内、駅の右横に隣接する空き店舗を利用して、駅前に活気を取り戻すプロジェクトを企画しました。ただし、まだこの店舗を契約しているわけではないので未定です。もし申し込み者が多数の場合はスタートしたいと思っていますが、少ない場合は企画はボツにします。

企画アイデア:


1棚(横長さ約1.5メートル)を一ヶ月1万円にてレンタルします(30日で割ると、一日約333円以上の利益が上がれば、あとはあなたのお小遣いに)。1棚を数人で分割して借りても結構です(4人で借りれば一人2500円。一人一日100円以下のレンタル料金となります)。あなたが、「これなら人が呼べる」、「これなら儲かる!」と思うものをどんどん出品して北条駅の店舗を繁盛させてください。野菜、手作りのお弁当やパンなどの食料品、自主制作のCDや本、イラストマンガ、ポストカード、ステッカー、写真、陶器、使わなくなった衣類や小物などご自分で価格を決め、(フリーマーケットのように使うことも可)、棚に乗るものなら何でもお売りいただいて結構です。

*まずは、30棚限定の貸し出しです。応募締め切りは2月20日(日)。*ただし、希望者が30棚以下の場合はプロジェクトは延期もしくは中止いたします。*お申し込み多数の場合は先着順とさせていただきます。
*メールでのお申し込みの場合、住所、氏名を記入の上、kazahaya.syachu@gmail.com まで。*電話での申し込みの場合は、NPO風早社中  090-6288-1077
規約、契約書をお送りします。(商品をご自分で持ち込める方のみ、18歳未満は不可)

*貸し棚をするこの場所はまちづくりNPOの情報発信基地として、観光客や老人らが集まれるコミュニティーに活用いたします。

*北条駅での販売メリットは、交通の便がよく場所がわかりやすいので人に伝えやすく宣伝効果があること。北条高校や聖カタリナ大学、松山今治方面へ通勤通学する学生、サラリーマンらが毎日北条駅を利用するため必ず特定数の人がいます。また、30人近くの様々な出品者がいるため各方面からいろんなお客様にお越しいただけると思います。加えて、新市長の公約の中で北条をまちおこしの重点地区に挙げており、今年から駅前で土曜夜市などのお祭りを復活する動きがあることも追い風です。しかしながら、現在はJR北条駅を利用者する観光客や一般客が少なく前例のないプロジェクトのため、どうなるかはまだ未知数。

 主婦や大学生も大歓迎。各地域から、様々な商品のお申し込み、お待ちしています。

2011年1月20日木曜日

三章 これまでの動きのまとめ

新しい年が明けて、1月ももう三分の二が終わっちゃいました。

今年2011年から始動した北条鹿島の風早社中、これまでの動きをまとめます。


*2010.12/19 有志で鹿島を視察後、忘年会でNPO結成の狼煙を上げる。


*2011.1/1 風早社中 会員募集開始。


*1/6 松山市役所に鹿島フェリー料金と駐車場の値下げのお願いにいきました。


*1/13 東京在住の作家「早坂暁」先生に、風早社中の顧問就任のお願いに上がり、顧問就任を快諾していただき、我々がまちづくりに「花へんろ」という言葉を使うことの了承も得てきました。


*1/14 蒼井優さん主演で北条が舞台の映画「花へんろ」を制作、全国公開するにはどのくらいの制作費が必要で、実現の可能性はどのくらいあるのか?若手とベテラン各々の映画プロデューサーらを訪ねて話を聞きに行ってきました。


*1/18 松山市役所の方々とJR北条駅前と鹿島の再生について意見交換と行政へのお願い。風早社中の事務所を活動のしやすい北条駅周辺に決めるべく動いているところです。


*1月20日(木)現在、北条鹿島の風早社中、入会金支払い済みの入会者数は42人になりました。東京や香川、広島、宇和島など、遠方からもHPを見て「故郷のためになるなら」と入会頂いた方がいらっしゃいました。本当にありがたいことです。

(ご入会いただいた方には4月までには会員証、規約などを郵送致します。人手が足らないもので!しばらくお待ちください。)



*1/22(予定) 宮崎駿アニメには欠かせない背景画家で「ジブリの絵職人」こと男鹿和男先生に、男鹿先生を招へいしての鹿島写生大会復活のお願いをする予定です。

今後も人脈を生かして才能を持った様々な方々に協力を仰いで参ります。



北条と鹿島の再生のために、孤軍奮闘、真剣に取り組んでいます。

二章 風早社中 最高顧問決定

北条出身の尊敬するとある作家の先生を説得に東京まで行ってきました。僕が代表に担ぎ出されたNPO「北条鹿島の風早社中」の顧問として、どうしてもその人の名前を掲げたかったのです。 

面識はないし、あてもありません。知り合いから事務所の電話番号は入手していたのでそれを頼りに「ダメでもともと!」と、片道850kmの道のりを車で走った次第。 

とある作家の先生とは「早坂暁」先生。 

モンテカルロ国際テレビ祭シナリオ賞、芸術祭優秀賞、芸術選奨文部大臣賞、放送文化基金賞、放送文化賞、向田邦子賞、新田次郎文学賞、講談社エッセイ賞、と挙げるときりがない。紫綬褒章、勲四等旭日小綬章も受賞、賞という賞を思うままに受賞していますが、難しい本ではなく、理屈抜きに面白い。 

「賞なんて興味ないね!」と言わんばかりに、映画シナリオ、戯曲、舞台演出、ドキュメンタリー製作にまで活動が及ぶからこれまたすごい。 

早坂先生の作品は、エッチで、不良で、大きなものに立ち向かう反骨精神があって、人情味に溢れていて最後にホロリときます。僕の好きな要素が満載なのです。心の目の細かい所からゆっくり深いところに染みこむような感動があります。初めて読んだ彼のお気に入りの作品は「ダウンタウンヒーローズ」、「花へんろ」も大好きですが、他のどの作品も入り込めます。 


東京に着いた日、聞いていた電話番号に何度電話するも留守番電話。翌日も留守電。仕方なくメッセージを残しておこうと、もう一度電話をすると予期せず女性が出たのでびっくり! 


「10分でいいから先生に会ってお話したい事がある」と伝えると、用件は伝えるがここに先生はこないのでどうなるかはわからないと(そりゃそうだ)。 

電話した日、結局連絡はなし。

その翌日も一日中連絡はなし。 

その翌々日も14時をまわっても連絡はなし、、、。 

「またいつかご縁があればどこかで会えるだろう」とあきらめて、早い時間から焼き鳥屋で一杯やろうと銭湯に行く用意をしていたら、14時半に電話が鳴りました。 


「今浅草ですが、1時間後に渋谷のホテルでお会いしましょうか?」 


やった。

とりあえず、コーナーキックゲット! 


そのホテルは、今から21年前、渋谷公会堂で行われたアマチュアバンドコンテストの全国大会で優勝し僕の人生が大きく変わった夜に宿泊したホテルで、なにか運命的なものを感じました。 


21年振りに開いたドアの向こうには、早坂先生とお付きの女性がお座りになっていました。 


丁重にご挨拶をし、緊張しながらもここぞとばかりあれやこれやと話をすすめ、気づけばすでに90分が経過。最後に気張って言った言葉は、 


「田舎で待つ同志たちに良いお土産を持って帰りたいのです。どうか僕らの最高顧問に、いや、親分になってください!」 


「はい、わかりました。けど、最高はのけて、顧問か字引、辞書くらいにしておいてください」 


やった。 


翌日は原宿の展覧会のレセプションにもお誘いいただいた上、銀座に場所を移し一杯やりながら、生涯の親友となった渥美清さんとの出会いの話や今の仕事に就いたきっかけ、芸術家中川幸夫氏のこと、小説のこと、その他いろいろ。一言一言を聞き逃さないように終始耳の穴は全開。どの話も珠玉のような貴重なお話で、ほんとうに夢のような一時。帰り道、銀座の街の灯がいつもよりキラキラ感じました。 



それにしても早坂先生歌上手い。「旅姿三人男」あれはいい。女性の合いの手もいい。82歳で普通歌えませんよ、あんなには。 おちゃめでチャーミングでやっぱ不良な82歳。高い高い目標のお方です。早坂親分とマネージャーの岩井さん、素敵なご縁に心から感謝。先生の持つ知識、経験、今後たくさんのことを吸収させていただきます。 


「ダメでもともと」、学生時代からずっと大事にしてきたこの言葉、未だにやっぱ強いです。車でしんどい思いをして東京まで行った甲斐がありました。



2011年1月19日水曜日

一章 NPO「北条鹿島の風早社中」始動

○ 松山市中心部から15km、車で約30分ほどのところにある北条地区に移り住んでちょうど四年が経ちました。 

近年、この北条地区に都会や松山市街地から移住する個性的な人たちが増えています。


都市同様に自然を好み、舌と目の肥えた悦楽者たち。彼らは物の消費や取得に対する喜びよりも「生活をいかに楽しむか」ということに強い関心を持つアーティスティックな方々です。個性的な住まいを建て、ゆったりした時間を過ごせるこの地区は近年、ミュージシャンや陶芸家、写真家、画家、若手アーティストたちの文化の発信基地としても注目を集めています。 


1985年から三部作として長期にわたりNHK総合テレビで全国放送されたドラマ「花へんろ」は、今僕が住むその松山市北条地区(旧風早町)の日常生活を描いた作品で、地方に住む人たちから見た「昭和」という時代の眺め、空気感を映し出した貴重な名作でした。昭和という時代の中に、「経済、文化、人情」がとても華やいだ北条の黄金時代があったことを、昨年ネットオークションで苦心して購入したこのドラマと原作本を読んで知りました。 


しかし、そんな名ドラマを彩った北条地区のシンボル「鹿島」も(湘南の江ノ島にそっくりな小振りな島)、




1980年代まで多くの海水浴客や観光客で賑わっていましたが、もうここ10年程、「落石山肌崩落の恐れがある」とされ、島の周りの道は通行禁止になったまま放置されている状態。










年末に鹿島の通行禁止の場所をぐるりと全部回って見たところ、特に危険を感じる場所は、上に木がひっかかっている場所が2,3カ所。それ以外は落石もありませんでしたし、特に問題はないように感じました。砂のような小さな石が落ちて道の端に積もったような場所はありましたが、大きな落石で道がふさがれたりする場所はありませんでした。









「修復工事などということをしなくても砂を除けただけで充分今のままで通行できる。」「鹿島の市道を通行禁止にした理由にはっきりとしたデータや根拠がない。」「この10年以上、強い雨風台風でも落石して道がふさがれたりする事故がなかった鹿島の市道がもし危険だというのならば、たくさんの観光客が訪れていたのに先の大雨で全壊した愚陀仏庵は何だったのか?」「修復しなければ通ってはいけないというのならば早くどうにか修復をして欲しい。」「どこまで修復をすればいいのか?修復金額など住民には見当が付かない。まず行政がやるべきことではないのか。」

また、鹿島の渡船フェリー料金に関しても、「フェリー料金が高いので清掃作業のボランティアなどの人数、祭りの時に鹿島に渡る地元の婦人らの数が激減した。」「渡船料金を往復100円程度に値下げして、たくさんのお客さんに来てもらう方が得策だ。」「駐車場料金を取るならば500円にして、フェリー代を徴収しないようにすれば家族連れも多く来てくれる(現状は四人家族で来ると、大人二名600円+子供二名320円+駐車場610円=1530円)」「鹿島フェリーは年間3000万円程度の赤字が出ているが、ほぼ人件費。3000万という数字は他の無駄遣いの場所に比べればまだ大した額ではないが、もう少し努力ができるのではないか?」「現在フェリー乗り場は伊予鉄ケーターサービスさんが担当しているそうですが、地元の老人会や協議会で運営してもらう方がコスト的にもいいし、雇用の面でも助かるし、地元のことは地元でやるべきです。」そうおっしゃっていた地元の人がフェリー乗り場にいて。ごもっとも!と思いました。


これら地元の方々から上がった意見は先日松山市役所へ訪れ、ずべて担当の方々の耳に入れておきました。


今まで鹿島問題については大金がかかるためアンタッチャブルでした。職員の方々は「鹿島にお金を入れても回収できないのが理由だ」と言います。「フェリー料金を安くすると赤字が3000万から6000万になるだけだ。工事に数千万入れてもどうやって回収する?」と見るのではなく、もっと大きな観点から見て欲しいのです。北条を生き返らせることによって今後何十年にも渡って観光客が196号線を通ってしまなみ海道を走って帰ってもらえるとなると松山や愛媛には大きな経済効果がもたらされます。何よりも、松山城と道後温泉だけでなく松山にもう一つ大人の観光スポットが増えるわけですから。



僕も鹿島フェリーを安くしてたくさんの人に乗って頂く方が得策だと思っている一人です。良い方向へ進めばいいですね。期待しましょう。







鹿島はフェリーで3分で渡れる手頃な美しい島で、野生の鹿が出迎えてくれます。






頂上からの瀬戸内海の島々の眺めも最高なのですが、今観光客はほとんどいません。 



                     頂上展望台↓





↓展望台からの眺め


ご先祖から受け継いだ地元の宝を10年近くどうすることも出来ないでいたのは不景気だけのせいではない気がします。ここ数年、旧北条市市街地、JR駅前はますます空き店舗が目立つようになり、ゴーストタウンのようです。鹿島の現状こそが今の北条を現しているように感じます。 



まずは鹿島を復興させること。そうすれば、人の流れも変わるでしょうし、何よりも我々北条住民が自信を取り戻せる気がします。そのためにはフェリー料金の見直しや、島の整備、県内外から多くの人が集まってもらうためのアイデアや工夫も必要になってきます。 

僕らの世代から下はすでにドラマ「花へんろ」を見たことがなく、鹿島が賑わっていた頃の景色を知りません。 


観光客の皆様に美しい瀬戸内海沿いの道「国道196号線」やしまなみ海道を通っていただく流れを作ることは、196号線沿いに住む方々にとっても愛媛県全体にとっても今後大変重要なこと。そのためには「北条」という場所がとても重要な場所になってきます。 


2009年5/23、朝日新聞朝刊の全国欄に嬉しい記事を見つけました。 

「渥美清さんは私生活でも旅が好きで、特に好きだった場所は、瀬戸内海、愛媛県の鹿島だった」と書かれてありました。未だにファンの多い昭和のお正月映画の定番「男はつらいよ」の旅の原点が北条鹿島にあったのです。 




渥美清さんが最も愛したこの「鹿島」という眠った宝物を磨いて町づくりの中心に据え、北条が一番輝いていた昭和のあの時代に原点回帰し、歴史、文化、経済、人情のバランスの取れた「輝く大人の町」を復活させたいですね。


瀬戸内に浮かぶ美しい島「鹿島」を中心にした文化、経済、夢の活性化に参加しませんか? 

NPO「北条鹿島の風早社中」入会希望者はメールにて、kazahaya.syachu@gmail.com まで。 

*氏名、*住所、*年齢、*職業、*連絡先パソコンのメールアドレスをご記入の上、 個人会員は年会費(1000円)、で誰でも入会できます。北条の活性化のための応援会員、活動に参加出来ない幽霊会員も大歓迎です。是非ご入会下さい。  

*お振り込みの場合 愛媛銀行 北条支店 普通口座 3432730 「NPO北条鹿島の風」宛                
年会費をいただいた方から会員登録をして本格始動の4月までに、会員証や規約、イベント情報、優待情報(将来的には会員は鹿島フェリーの料金無料化もしくは割引が出来ればいいなあ、、と考えてます)などを送付させていただきます。


北条鹿島を、あなたの心の故郷にしてください。