2011年4月28日木曜日

五十七章 四国旅マガジンGajA表紙撮影

本日、強風の中、5月末に発売の「四国旅マガジンGajA」の表紙の撮影を、鹿島をバックにして北条土手内漁港の堤防などで行いました。

「四国旅マガジンGajA」、読んだことがある人はわかると思いますが、創刊12年、たくさんのファンがいるとても良い雑誌です。

来月号は「四国遍路特集号」だそうで、以前僕が四国遍路を廻った経験があるからでしょう、表紙モデルの依頼をいただいたので、ここぞとばかり「土手内の海岸で鹿島をバックに撮影しましょう!」と、北条にて撮影させていただいた次第。

是非本屋さんで手にとってご覧下さい。

あとで気づいたのですが、ちょうど6年前の今日、四国遍路を結願した日でした。白衣を着たのはあの日以来。偶然にしてもすごく縁を感じる撮影でした。

写真は、GajA編集長の清水さん(左)とカメラマンの国貞さん(右)↓

土手内といえば、先日作家の早坂暁先生に伺った話、終戦後、北条では海賊が横行していたそうです。

軍下がりの鉄砲を持った海賊の集団が、当時の北条駅前の日通の倉庫やクラボウ(倉敷紡績)に堂々と盗みに入り、警察もなすすべがなかった。

「許しておけん!」と立ち上がったのが、土手内地区に住むやんちゃな漁師さんたちでした。

当時、土手内地区には腕っ節の強い、血の気の多い漁師さんたちがたくさんいたそうで、祭りの時なども他の地区から怖がられていたようです。

その土手内地区の漁師さんたちが、盗みに入った海賊たちの船を漁船で追尾。
「漁師さんの船に向かって手榴弾を投げてくる海賊たちにひるむことなく勇敢に戦った」という良い話を先生から伺いました。

その話を聞いてから、うちの近所の土手内のお年寄りを見る目が変わりました。

漁師さん、大工さん、とび職の方々、威勢の良い職種のみなさんは毎年必ず7/1山開きの時に石鎚山にお越しになってます。危険を背負っている仕事、覚悟が出来てる職種ともいえますね。

男も女も、「頼りになる人」は愛されます。

いかすぜ土手内漁師。

2011年4月26日火曜日

五十六章 平成23年北条鹿島まつり

北条鹿島祭りが一週間後に近づいて参りました。

5/3は櫂練り、4日は大注連縄の張替えです。(大注連縄に願い文を入れる「ラブ注入プロジェクト」は以下フライヤー参照)
鹿島を舞台とした北条のGWの風物詩。ぜひお越し下さい。

櫂練りは愛媛県指定無形民俗文化財です。

櫂練(かいねり)の起源は遠く河野水軍の昔、治承年間(1177〜1181)にさかのぼるといわれ、水軍の出陣に際し、鹿島の神前に終結して戦勝を祈願し、凱旋の時の祝勝奉賛が鹿島神社の神事となったものと伝えられています。

水軍は近世にいたり、衰微絶滅したが北条辻浜、土手浜一帯の住民は先祖の武勇をたたえ、昔の遺風をしのぶため毎秋重陽(ちょうよう)の節句に漁船の競漕を試み、櫂練りを演じる風習が伝承されていた。江戸末期にいたってこれを鹿島神社の祭礼に奉賛するようになり、さらに、神輿渡御(とぎょ)の御乗船に供奉警護にあたることになって今日に及んだものであると言われています。
祭神、武甕槌命(たけみかずちのみこと)・経津主命(くつぬしのみこと)武勇の神であり、海の守護神でもあって男性的で勇壮な櫂練りは神意にかなったものと言われます。また、櫂練船の艤装奉仕者(ぎそうほうししゃ)のみなり、漕ぎ方、舳先(へさき)の樽の上で櫂をあやつっている動作、掛け声、鉦鼓(かねたいこ)の囃(はやし)など、すべて古式にのっとる独特の伝承行事で、地元少年、青年、壮年が奉仕するのが慣例となっています。」

 
4月末から、地元の子供が、鐘と太鼓の音にあわせて櫂練りの踊りの練習に励んでいます。
当日は鐘の音しか聞こえませんが、船上では唄を歌っているそうです。踊りもそうですが、唄があってこその櫂練り。民俗学的にも貴重な唄だそうです。ここでは紹介出来ませんが、是非生で味わいに来てください。




2011年4月25日月曜日

五十五章 焼き杉

地元の人が気づいてない北条の意外な良いもの。
それは、焼き杉の家。
東京で活躍中の建築家さんや家具デザイナーさんらが、この焼き杉の家を見て「クール!」と、目を丸くしたそうです。

焼き杉を使った家は北条地区の海の近くによく見られます。

お堂もほら。
防虫にもなるし、潮風で家が傷むのを防ぐ効果があるそうです。昔からの智慧ですね。

他県には見られない独特の文化なんだそう。言われてみればそうですよね。かっこいい。伊丹十三記念館のように真っ黒でおしゃれな建築物を最近よく見かけますが、この焼き杉からヒントを得たんじゃないでしょうか。
焼き杉の古い民家、実用的かつクールです!


2011年4月24日日曜日

五十四章 鹿島渡船場入口の鳥居

写真は、鹿島渡船場入口にある鳥居。


「どこからみてもクール!かっこいい!」

白い鳥居は珍しいらしく、都会や海外から遊びにきた友人たちはいつも口々にほめてくれます。確かに、かっこいいです。この鳥居、僕も大好き。


先月、世界一の観光地、地中海に浮かぶイタリアの人口の島ベネチア(ベニス)から来た、通訳会社を経営する亜美ちゃんという友人が言うには、
「松山は国際的な観光地になれる要素が一杯ある。こんなに美しい海と島を持っているのが一番の武器。このあたり(北条)は、観光地っぽくないところがいい。しかし、日本に帰るといつも残念なのが電線と電信柱。これがなければ日本の景色はもっと美しいのに、、、。いつも年度末にあちこち掘り返してるんだから、一緒に電線も埋めてくれればいいのにねえ〜。あと、日本で最初に市のHPを五カ国語にすればいい。HP、かなり効くのよ」と。なるほど。

地元の人は慣れてしまって気づかないけれども、外の人からの感覚で見ればとても価値のあるものが、ここ北条にはたくさんあります。「なんにもないのが観光地っぽくなくていい」というのもその一つ。

また次回の日記に、地元の人が気づいてない北条の良いもののことを書きます。

五十三章 早坂イズム

一昨日の夕方、作家の早坂暁先生が突然我が家に現れ大わらわあせあせ(飛び散る汗) 


なんか高校の時に抜き打ちで担任の先生が家庭訪問に来たような感じです(笑)。講演会のために愛媛に帰って来られていて、早坂先生のご先祖のお墓がうちの近所なのでお墓参りを済ませた後、寄っていただいたのでした。 

講演会でも、勧商場でも、家でも、また貴重なお話を聞かせていただきました。


早坂先生は30年程前に、胃を切除。その後、胆嚢ガンと心筋梗塞を併発なさったそうです。ドラマの脚本作家全盛期の時でした。医者から余命3年を宣告され、生前葬をやり、死を覚悟。 

5年前には前立腺ガンの手術、鼻の機能は失われていて、片耳も聞こえません。 

そんな状態であるにもかかわらず、正岡子規の言葉「なおかつ平気で生きる」を胸に、ご存じのように次々と数え切れない名作の数々をお書きになってます。 

彼の知識の豊富さ深さ、頭の回転の良さ、意志の強さ、反骨精神、チャーミングさ、ピカイチのスーパー82才、本当に尊敬出来るお方です。 


江戸時代後期の僧侶「良寛さん」が大事にした考え方「愛語」の話をして下さいました。 

「愛語」は、愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。愛語、廻天の力あることを学すべきなり。(『正法眼蔵』菩提薩○四摂法) 

困っている人があれば本当にその人の気持ちになって一緒に泣き、幸せな人がいれば本当にその人の気持ちになって一緒に笑う。それが「愛語」。「愛語」は慈悲の心から起こり、そういう言葉は廻天の力、天地宇宙をひっくり返すほどの力がある。 

「菅総理が被災者の避難所を訪れた時、一緒に心から泣いてあげられるような人だったらそんなにバッシングされることはなかったのにね。」と先生。 

「船と財産を失った被災地の漁師さんが「また立て直して漁に出ますよ」と言ってましたが、私も大病の時、同じ気持ちでした。命と引き替えに、それまで貯めていた財産と身体の機能の半分までも失いましたが、またやればいい!と。」 

「なおかつ平気で生きる」いい言葉ですね。 

写真は、82才の不良熟年の温かい手です↓


先生からの提案で、「高野山から菜の花をいただいて、高縄山の麓に菜の花で河野水軍の家紋を模れば名所になるよ」と。面白いと思いました。



「菜の花プロジェクト」
このHPの中に、「全国の取り組み団体最新情報」というのがあり、日本地図が黄色に塗られているのですが、
なんと参加していないのは「愛媛県」だけなのです。ぜひ、北条がさきがけになりましょう!!



また、まだ松山市と合併前の北条市時代、明星川の横道で「道踊り」なる行事が行われていたとのこと。石川さゆりさんが歌う「花へんろ音頭」に合わせてたくさんの連が参加していたそうですが、事情があってやめてしまったんだそうです。これを復活すればおもしろいと。


松山祭りとは時期をずらして、よさこい祭りのような華々しいものではなく、昔ながらのゆったりした踊り、振り付けで、見ている人も癒される踊り。コンテンポラリーダンスのような連も参加可能でしょう。そんな大人の本格的な連がたくさん集まってもらえるようになれば間違いなく四国の名物になります。


早坂先生の引き出しにあるたくさんのボキャブラリーとアイデアを形にしていくと、この街は、進化した退化、新しいレトロとして生まれ変わることが出来るような気がします。


あと、北条の一番は、目に見えないお接待の心のようなやさしい気持ち、「愛語」、これを一番基本に据えておいてほしいなあと。花へんろのまち北条は、愛のまち北条。













2011年4月22日金曜日

五十二章 メディア掲載

今朝の朝日新聞に北条鹿島の記事が掲載されてましたね。


「伊予の江の島」と書いて下さっていたのが嬉しかったです。

タウンミーティングのあと、朝日新聞の記者さんにインタビューを受けたのはこの記事だったようです。


この記事の中身は、タウンミーティングで風早社中が質問させていただいた問題提起を中心とした記事内容でしたが、これらの問題はすでに松山市役所の各々の部署の職員さんたちが一生懸命取り組んでいただいているようですので、朝日新聞の記者さんには申し訳ありませんが、掲載するのが少し遅かったような気もします。

ただ、こうやって北条や鹿島のことを取り上げていただくマスコミの皆様が増えてきたことは本当に有り難いことです。先日も読売新聞社から取材申し込みのお電話をいただきました。

北条や鹿島のことをいろんなところから発信して、畳の目ずつ、認知度を上げていければと思います。

ちなみに、先日発売になった「タウン情報まつやま」に「北条鹿島ラブ注入プロジェクト」の記事を掲載していただきました。渡邊編集長、ありがとうございました。

2011年4月21日木曜日

五十一章 春爛漫

桜の花も散り、最高気温が20度前後に安定。まさに春爛漫。写真は今朝9時前、土手内地区の堤防から撮った北条鹿島です。

土手内港。
青空の下、内海に小さな波を立て漁船がゆっくりと沖に向かう、何気ない風景に心が動きました。
いってらっしゃい。


NPO「北条鹿島の風早社中」正会員、130名を越えました。ありがとうございます。
これでもか!というくらい空が青い今朝の北条です。

2011年4月18日月曜日

五十章 ボス講演会のお知らせ

今週4月23日(土)、松山市立子規記念博物館にて、「風早社中のボス」こと早坂暁先生の講演会が行われます。詳細は以下。

愛媛いのちの電話 公開講演会(子規博4階講堂)
http://sikihaku.lesp.co.jp/ev_top.html

「ボランティアとおせったいのこころ」
講 師:早坂 暁 氏
時 間:午後2時開演(午後1時30分開場)
入場料:前売券1000円(一般)当日券1200円
    高校生・大学生500円(中学生以下は無料)
チケット取扱所:愛媛命の電話事務局 089-958-2000
        いよてつ高島屋(プレイガイド) 089-948-2727



是非お時間の合う方はご参加を。
写真は、鹿島沖より北条、高縄山を臨む↓









2011年4月14日木曜日

四十九章 NPO法人申請書類

NPO法人化に伴い、愛媛県庁に提出する書類の申請。「大変ですよ〜」と、あちらこちらから聞いてはいましたが、時間も労力もかなり吸い取られ、これには正直参ってます。

定款や計画書の相談にNPOサポートセンターに5度ほど通い、書類を完璧に仕上げ、3月の終わりに県庁に書類を提出しました。一週間後に電話があり、「一発OKか!?」と思いきや、それから県庁に通うこと今日で3度目。未だ完成せず。

「、」がないだけでダメだったり、「まちづくり」を「地域活性化」と気を遣って書き直していたら、「規格に添ったものでないとダメ」とのことで書き直しなのです。


今日なんかですね、意気揚々と家を出て、県庁に到着してカバンの中を見たら書類を持ってくるのを忘れていて、また北条まで取りに帰って、ようやくのことで提出したらまた訂正箇所が入り、これからまた書類を直すところです(泣)。

書類を申請するところは愛媛県庁内の「県民活動推進課」というところで、職員の皆さんにはとても親切丁寧に対応していただいてますが、僕の不注意、ミスで何度も作り直しになっているわけですが、最近ですね、職員の方々がなんか鬼に見えてきました(笑)。

しかし今日、心強い味方を得ました。

「県民活動推進課」のドアを叩き、「北条鹿島の風早社中で〜す。」と部屋に入っていくと、意外な顔がそこに。小学生の頃からの幼なじみで、同じ剣道会で共に汗を流したKくんでした。彼は長い間東京の県事務所に勤務していたのですが、この春の人事異動で「県民活動推進課」にやってきてたそうです。

「はるくん、僕も風早社中に入会したけん。年会費、振り込んどいたからヨロシク!」と。有り難いっすね〜。トライアスロンが趣味のナイスガイです。

彼がこの部署にいようがいまいが、僕がちゃんと書類を作れない限りはまだまだ定款との格闘は続くのですが、随分気持ちが丈夫になりました。

今度こそは絶対にOKを取って見せます!ヨロシク〜(矢沢永吉サン風に)。

2011年4月12日火曜日

四十八章 会員からのアイデア

このHP上には書き込みができないので、感想などをメールでいただくことがあります。
以下は、昨日の日記を読んだ地元在住の風早社中会員からいただいたメールです。



今、このNPOはとにかく「鹿島」です。

ふわりはすでに、しっかり確立されており、これ以上ふわりに力入れなくてもいいような気がしています。行政との協力体制もできていますしね。

ふわりの目の前にある「鹿島」がきれいな風景としてあるからこそ、ふわりに価値があるのであり、もし鹿島がないふわりからの海の景色は何も魅力がないのです。

鹿島は「海の鹿島」と「山の鹿島」の2面性を利用しないといけません。夏は海水浴、冬は登山。(夏の登山も悪くないですけど)鹿島は夏だけのイメージがあるので、一年自由楽しめる島としての価値をつけないといけません。ちょうど運動にもいいくらいの高さですし、冬のすんだ空気の景色で見るのは最高ですよ。

僕は今回のNPOの活動において、何かを整備する、要望するのではなく、まず今あるものを上手く使う、または少しだけ付け加えてもっとおもしろいものにするっていうやり方から知恵を絞って検討していくことが大事かなって思っています。まえに話に出た「手作り灯篭」を使ったイベントなども鹿島神社の境内でミニコンサート的なこととコラボする事でいいものになるかもしれないでしょう。

「風早88ヵ所」と「一茶の道」は松山市には研究してほしいですね。範囲が広く鹿島周辺に絞った活動を宣言している我々のNPOではここには触れてはいけないのでもどかしさもあるでしょうが。

あと、風早地区のパワースポットめぐりを作ればいいと思ってます。高縄山頂の千手杉と大師見返杉、鹿島山頂の岩、鹿島裏の石門、八反地神社の古墳、河野の柱石など。

どれも実現出来そうな素晴らしいアイデアですね。

以前松山市の方から「北条住民の声が少ない」と聞いていましたが、個々に聞けば皆さん様々な面白いアイデアを持っています。


今年北条で行われた市長と市民が直接対話出来る貴重な場「タウンミーティング」でも、「JR北条駅前に市役所北条支所の機能を移転させては?」など、面白いアイデアがあれこれ出ていました。

「まちづくりを半ば諦めかけていたこと」と、「アイデアを誰に、どこへ届ければいいかわからない」と思っている人が多いのかも知れません。

北条ファンのみなさまの声をお聞かせ下さい。kazahaya.syachu@gmail.com


*写真は、北条 番外霊場「鎌大師」の花まつり(4月8日仏陀の誕生を祝う行事)









2011年4月10日日曜日

四十七章 鹿風連合

世界を股にかけ、数々の有名な舞台の美術デザインを手がける土屋茂昭氏が、昨日重信町の坊ちゃん劇場で行われた新作ミュージカル「誓いのコイン〜ロシア兵をもてなした松山〜」の初日公演、舞台挨拶のあと、松山市内をスルーしてわざわざ北条まで来てくれました。

以下、土屋氏の手がけた主な作品。

団四季「鹿鳴館」「ブラックコメディ」「CATS」「李香蘭」「EVITA」「南十字星」「ユタと不思議な仲間達」他、地球ゴージャス「クラウディア」(日生劇場)「HYUMANITY」(新宿コマ劇場) 明治座「大奥」ザルツブルグ オペラ「エレクトラ」(祝祭劇場)など、ストレートプレイ・ミュージカル・オペラの舞台美術デザインを手がける。
また、
長野冬期オリンピック開・閉会式 美術総合スーパーバイザー、函館五稜郭野外劇プロジェクト・吉野ヶ里歴史公園再生プログラム、坊ちゃん劇場(重信町)など地域との連携活動も行う。

土屋氏は、風早社中のデザイン部門顧問である山内敏功さんのデザイン専門学校時代の同級生。同級生には、あのスタジオジブリの絵職人こと男鹿和男さんもいらっしゃいます。北条の魚やにし貝の味を気に入っていただいたようで、いつもこちらまで足を伸ばしてくれます。

写真左が男鹿さん、右が土屋さん

昨夜は北条の居酒屋さんにて、東京からお越しの劇団音楽スタッフ、秋田からお越しのわらび座のスタッフらとともに土屋氏を囲んで久しぶりに盃を傾けました。

誰と飲むときもそうですが、一番の酒の肴は「話」。演劇、音楽の話から原発、メディアの報道規制や人生哲学の話まで、第一線で活躍する方々の話は刺激になります。外からの風に耳をかたむけることはとても大事だと。

たまたま我々の後ろの座敷で、この町の区長さんたちが集まって飲み会をやっていました。


お酒が入ってご機嫌の区長さんたち。「NPOを立ち上げてくれてありがとう!」と口々に有り難いねぎらいの言葉をいただきましたが、中にお一人だけ、ご機嫌ななめの区長さんがいらっしゃって、話を聞けば、「今更鹿島じゃない!道の駅 風和里を中心にしたまちづくりにしなければいけない(怒)」と。貴重なご意見です。

「鹿島と風和里を比べるのはおでんとラーメンを比べるようなもの。どちらも大事です。今道の駅 風和里はすでに拠点になってます。これからも風和里が鹿島に脅かされるようなことはないです。鹿島を今のまま放っておくのはもったいない。せめてゼロ地点に戻したい。誰に聞いても皆、北条といえばやっぱり鹿島とお答えになります。」というと、

「皆って誰ぞお?わしは言うてない!(怒)」と。

ちゃんとお話をしたかったのですが、他の区長さんらが「(このお人は今日お酒が入り過ぎているので話をせられん)」と、目で合図をするもので、席から離れました。

なので結局、この区長さんが何が気に入らないのかを聞くことが出来ませんでしたが、もし何か誤解があるのなら誤解を取っておかなければいけないなあと。

風和里の邪魔をするつもりなどまったくありません。逆に、鹿島から風和里方面に遊覧船を出して風和里の存在を印象づけ、帰りに風和里に寄っていただく。双方を観光客に楽しんでいただくのです。鹿島があるから風和里から見た景色が美しいのです。双海町の景色よりもいいと言われる人が多いのはそういうことだと思います。鹿島がなければ味気ない景色です。


風早八十八カ所巡りの復活もそうですが、北条の面白い場所が個々に存在するのではなく、点と点を結んで線にてゆく作業をしなければならないと思っています。そのためには各地区が協力し合う必要があります。

小さな町の小さな地区同志が歪み合っていては北条の新しい夜明けは生まれません。幕末の薩摩と長州のごとく、鹿島と風和里が手を組めば、北条全体が体制を破る大きな力になってくれるはずです。これこそ、「鹿風連合」。なあ〜んてこじつけるのはどうかと思いますが、既成概念を取り払って、外からの風(斬新なアイデア)も取り入れてゆきましょう。

話を戻して、土屋氏が舞台美術を手がけた坊ちゃん劇場の新作ミュージカル「誓いのコイン〜ロシア兵をもてなした松山〜」、是非足をお運び下さい。




2011年4月8日金曜日

四十六章 奇習

鹿島神社本殿の右、今美しい花を咲かせている桜の後方に小さな祠があります。


なんだろう?と近づいてみれば「龍神社の雨乞伝説」と書かれた案内板がありました。

この看板に寄れば、以前は龍神様への雨乞いは盛んに行われ、鹿島山頂が雨乞いの斎場であったそう。どんな雨乞いだったかというと、「全裸の若者たちが男根をワラでしばり、首にかけ、火の周りをかけまわると必ず雨が降る」という変わったもの。

奇習のため禁止されたんだそう。いや〜面白いです。

この際、風早社中の行事で復活させましょうか?「男根の立派なラブリー美男子募集中!」って張り紙つくって(笑)。

女性じゃだめですか龍神様?

ちなみに今日の北条は雨乞いをしなくても久々の雨。あ、昨日僕が龍神様の祠の前で、この奇習のマネをしながら走ったのが効いたのかも?

愛ランド鹿島には、おもしろい話が色々残ってるんですね。そんな話のもっとルーツの話も知りたくなりました。

2011年4月7日木曜日

四十五章 要石の伝説

古い友人、ミュージシャンの山根麻以さんが来松。今日一緒に鹿島に渡りました。鹿島の桜、松山市内よりも少し遅めですが、綺麗に6~7分咲いてましたよ。


今日は温かく、とても気持ちが良くなり海岸で10分程うとうとしてしまいました。

「要石」の前で山根さんが丁寧に祈っていた姿が印象的でした。風早地方が地震が少ないのはこの要石を鹿島の神様が押さえているからだという言い伝えがあるそうです。

2011年4月6日水曜日

四十四章 郷土に乾杯

愛媛新聞4月3日(日)朝刊より。


「うるわしき郷土に乾杯_。関東地方に住む旧北条市出身者らによる「高縄会」が、東京上野公園の料理店で懇親会を開いた。約30人の出席者は窓の外の桜をめでながら、ふるさとを話題に1年振りに再会を楽しんだ。同会は大正時代初期に発足し96年目。


早坂暁会長は、「来年の懇親会は、北条鹿島で開き、北条を元気づけたい」と呼びかけた。


会場には北条から届いたイカナゴやひしおも登場。会員は懐かしそうに味わいながら、郷土の歴史や自然、母校などの話に花を咲かせた。


会員は年配者が多く、50代以上がほとんど。早坂暁会長は、「このままでは会が続かない。若い人を連れてきてほしい」と話していた。」

というわけで、来年は鹿島で開催だそうです。うれしいですね、早坂先生の粋な計らい。

我々風早社中会員も、高縄会のみなさんを歓迎してなにかしたいなあと思います。

来年、高縄会のみなさんが久しぶりに鹿島を訪れたときに、がっかりするような島では恥ずかしいので、出来る限りのことをやっておきたいですね。

2011年4月5日火曜日

四十三章 色紙より

「鹿島の花見会」の時、全員にとはいきませんでしたが、なにげに書いていただいた色紙には、良い言葉が並びました。

*鹿島山頂 心ウキウキ 足ガクガク(30代 NHK 某アナ)

*初鹿島 花へんろの世界に入れて感激です!(20代 九州出身の主婦)

*森林浴八十八カ所 歩いてみたい(30代 植樹の職人)←鹿島の山は森林浴八十八カ所の一つなんだそうです。

*愛ランド 大好き!(30代 夫妻)

*母を車いすに乗せて鹿島をまわるのが夢です(60代 主婦) 


他、色紙写真参照。

昔に比べるとすっかり鹿島は廃れてしまいましたが、「まだしっかり生きてる島なんだ」と、皆が実感した日でありました。

*「桜二分 鹿が見おろす夫婦岩」(40代 俳号 山梅頭こと私。)
まだ鹿島も二分咲きです。

2011年4月4日月曜日

四十二章 鹿島ゴミ拾い花見会

4月3日(日)、北条鹿島の風早社中主催、鹿島のゴミ拾い、花見会の日。

この日は皆さん、会社のお花見や、用事のある会員の方が多く、「不参加」のメールをたくさんいただいていたので、あまり集まってはもらえないだろうと思っていたのですが、朝9時50分、鹿島渡船場のロビーに続々と集まってくる参加者。

お年寄りやら、家族連れやら、松山大の学生さんやら、放送局の方々やら、広島から来ていただいた会員の方も(涙)。

結局、50人近くの参加者で鹿島に渡りました。本当にありがたいことです。


「人が捨てたゴミだけ拾うんよ〜。落ち葉は違うよ〜」と楽しそうに家族でゴミを拾う子供たち。


燃えるゴミと燃えないゴミに分別してのゴミ拾い。約1時間半の皆さんのご協力でたくさんのゴミが集まりました。

この日はあいにく気温も低く強風。「多分、鹿島の桜はまだ咲いてないぞ」と地元の方から言われていたのですが、寒空の下、申し訳なさそうに、美しい花を三分咲かせてくれていました。


さて、お花見の方ですが、「寒いけど桜の下で一杯やるのと、寒くない会堂をお借りしてやるのとどちらがいいですか〜?」と皆に聞けば、全員が「中でやりたい」と(笑)。花より団子派多し!


鹿島神社横の会堂をお借りさせていただいて、設立総会にお越しになれなかった会員の皆様や新規会員の皆様などが多く参加し、交流を深めました。

今回のゴミ拾い&花見会の参加者の特徴としては、女性が多かったこと。そして、松山大学ボクシング部などの若い力の活躍。新戦力に期待が膨らみます。

感想を聞いてみると、「日常に体験できない事を体験できて良かった」「ボランティアという言葉は余り好きではないが、島が綺麗になってゆくのを見て少しでも島の役に立てているのがわかり心が満たされた」「充実した時間になった」など。

自由解散でしたが、最後まで残っていただいた 半分ほどの参加者、全員15時20分の渡船に乗船。無事解散。


皆様、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。鹿島は喜んでいます。
太田屋さん、温かい缶コーヒーの差し入れ、ありがとうございました。石鎚神社の皆さん、御神酒の熱燗しみました。

参加いただいたカヌーの達人Cさんに、「以前、はるさんのブログで、毎日ゴミ拾いやってたのに断念したことがありましたよね」と言われ、はたと思い出しました。 

北条に移り住んでから、鹿島神社への毎朝の散歩の途中、釣り客のものと思われるゴミを拾っていたことがあったのですが、ゴミを拾うようになって、「ここに捨てても、誰かがきれいに掃除してくれるのか」と思われたようで、ゴミはそれまでよりエスカレートして増える一方。わざわざ大きなゴミをそこに集めて持って来てくる始末、、、。 

こらあかん。と、ゴミ拾いをやめて、反省を促そうとしたのですが、いまだにゴミはあります。 

ゴミのポイ捨ての元を絶つのには、家庭や学校の教育でしか解決できない問題なのかも知れませんが、なんか良い手はないものかと、、、。