本日、強風の中、5月末に発売の「四国旅マガジンGajA」の表紙の撮影を、鹿島をバックにして北条土手内漁港の堤防などで行いました。
「四国旅マガジンGajA」、読んだことがある人はわかると思いますが、創刊12年、たくさんのファンがいるとても良い雑誌です。
来月号は「四国遍路特集号」だそうで、以前僕が四国遍路を廻った経験があるからでしょう、表紙モデルの依頼をいただいたので、ここぞとばかり「土手内の海岸で鹿島をバックに撮影しましょう!」と、北条にて撮影させていただいた次第。
是非本屋さんで手にとってご覧下さい。
あとで気づいたのですが、ちょうど6年前の今日、四国遍路を結願した日でした。白衣を着たのはあの日以来。偶然にしてもすごく縁を感じる撮影でした。
写真は、GajA編集長の清水さん(左)とカメラマンの国貞さん(右)↓
土手内といえば、先日作家の早坂暁先生に伺った話、終戦後、北条では海賊が横行していたそうです。
軍下がりの鉄砲を持った海賊の集団が、当時の北条駅前の日通の倉庫やクラボウ(倉敷紡績)に堂々と盗みに入り、警察もなすすべがなかった。
「許しておけん!」と立ち上がったのが、土手内地区に住むやんちゃな漁師さんたちでした。
当時、土手内地区には腕っ節の強い、血の気の多い漁師さんたちがたくさんいたそうで、祭りの時なども他の地区から怖がられていたようです。
その土手内地区の漁師さんたちが、盗みに入った海賊たちの船を漁船で追尾。
「漁師さんの船に向かって手榴弾を投げてくる海賊たちにひるむことなく勇敢に戦った」という良い話を先生から伺いました。
その話を聞いてから、うちの近所の土手内のお年寄りを見る目が変わりました。
漁師さん、大工さん、とび職の方々、威勢の良い職種のみなさんは毎年必ず7/1山開きの時に石鎚山にお越しになってます。危険を背負っている仕事、覚悟が出来てる職種ともいえますね。
男も女も、「頼りになる人」は愛されます。
いかすぜ土手内漁師。