2011年7月3日日曜日

八十一章 昭和前半の鹿島の写真

会員エヌさんからすごい写真が届きました。
以下、エヌさんからのメールです。

北条駅前のカレー屋さん、いよいよオープン近いですね。たのしみです。
はるさんや・小林さん・むろさんが手作りで一生懸命気持ち込めて作っているのを見てぜったいいい店になると思います。

「昭和前半と思われる写真です」 

節目の60年目

「観光」という言葉が一般化したのは、太平洋戦争後。
北条のシンボル「鹿島」は、戦前は地元俳人の三由淡紅・仙波花叟・村上霽月らの努力により文人墨客に紹介された「清遊地」だった。
戦後、日本の復興が目ざましくなってきた昭和25年8月、愛媛県・愛媛新聞社共催による「愛媛八勝十一景」の選定投票が行われ、この時「鹿島」は4万票近くの人気を得て、県内に一躍その名声を馳せた。
そこで当時の北条町長は、上辻の区有財産であった「鹿島」を昭和26年2月に買収し、渡船を町営化して鹿島の開発に取り組んだ。
鹿島は今年、町の財産として観光地となってちょうど60年目である。
この節目の年に、松山市は鹿島の活性化に力を入れることになった。
60年の時を刻み、時代にあった新しい鹿島に生まれ変わるのを期待している。
ただ、鹿島の歴史と文化は尊重しなければならない。
それは先人の努力と希望には敬意を払わないければならないからだ。

会員エヌより


そうか〜。鹿島が観光地になって今年で還暦かあ〜。そういえば先日、戦前の地元新聞記事を調べていた先輩から、「鹿島は戦前の愛媛の人気スポットで道後温泉に続いて2位だったよ。」と。いつから、なぜ鹿島は人気がなくなったんだろう???