2013年1月22日火曜日

二百十五章 風早社中2周年

北条を元気にしたい集団「風早社中」をたちあげて丸2年が経過しました。

このブログの第一章から読み返してみると
当初思っていたことがまったく実現できていないことを情けなく思います。

昔のブログはもう消そうと思ったのですが、
何が間違っていたのか?それとも間違っていなかったのか?
あえて辱めを受け、
今後の反省材料、糧として残しておくことにしました。


2年前を思い返せば、

新松山市長の公約で、
「松山の宝磨きの一環として、北条を活性化したい」
と言ってくれた嬉しさに思わず、

「これは住民として、かつての仕事仲間として、
協力しないわけにはいかない!」

と、地元の仲間たちと共に立ち上がったわけですが、
そこはど素人のやること、
なかなか前に向いていきませんでした。


結成当時、後のアドバイス

「北条は特に保守的な人が多い町。
新しい事をするのはすごく難しいということを覚えておいてください。」
と某区長さん。


「何十年も前の話やけど、町づくりとか活性化とかいうたら、
大きなお金や裏金みたいなお金が動きよった時代があったんよ。
どうせ誰かが儲けるための町おこしやろ!
って協力してくれんかった。

今の時代はお金も無いから皆ボランティアでやりよるのに、
まだ昔の習慣が残ってて町づくりと名のつくものには、
どうせあんたのとこが儲けよるだけじゃろ、
と協力してくれん。

おまけに裏金が動いてると本気で思ってる人もまだおる。
会議でも意見を言うと嫌な思いすることの方が多いと思うけど覚悟して。」
と、県と市の行政、町づくりに詳しい某先生。


「地元の人から見れば、君たちは外からきたインベーダーみたいなものですから。
そりゃああなたの考えは容易には受け入れられませんよ。

町おこしなんてものは楽しんでやらないともちません。」
と尊敬する北条出身の作家、早坂暁先生。


駅前の活性化のため、
空き倉庫を改造してカレー屋を出店して二年近くが経ちます。

「人がいないところで商売はするな!」

との、商売の成功者の先輩の助言を無視しての強行でした。


様々な手を試してはみてますが
(まだまだ努力が足りないのでしょうが)、
正直言うと平日は商売にはなりませんね〜。

松山市の予算がいつまでもつくわけではありません。
イベントで盛り上げていただくのは地元にとってとても有り難い事ですが、
「風早レトロタウン構想」の援助が無くなっても
地元の方々だけで今後賑やかにやっていけるためのアイデア、
斬新なソフトは出来ているのだろうか?というのが一番の不安です。


地元の方々だけでもやれる可能性のあるイベント「かざはや楽市」は
ずっと続けてもっともっと盛り上げていきたいと思っていますが、

去年の春、今までの考えを改め、
北条にとっての「町おこし」「活性化」とはどういうことか?

どうすることがこの町にとって一番良い方法なのか?

をもう一度考え直してみました。

通常の町おこしは、
経済の再生、雇用の促進、観光客の増加
などを目指すことが多いのでしょうが、

「実は北条の場合は違うんじゃないか?」
とも思い始めました。
もっと無理のない自然な活性化の方法もあるのではないかと。


強いカンフル剤が打てない状況下では
不自然な状態はまたいつか必ず自然に淘汰されます。
地元の参加者がどんどん盛り上がり、
参加者、協力者が急増する奇跡が起これば話は別ですが、
奇跡を生むためにはそれなりの準備が必要です。

2年前は気合いが入りすぎ、
あれこれ意見を言い過ぎて失敗したので(微笑)
ここではあえて意見はしませんが、

古い時代の活性化とは違う、北条の美しい自然を生かした
一歩先を行く方法があると思うのです。


我々は当初、鹿島の再生をうたってアイデアを出してきましたが、
思い通りにはならないことを知りました。
点を線にする難しさも痛感しました。


今後は、
我々の手で確実に出来ることを
目のいき届く土手内地区を中心として
外からのお客さんの目を意識した活動をと考えています。


現在の風早社中は、結成当時の地元の主要メンバーが抜け、
法人格も取り下げ、
風前の灯火の集団となっていますが、
出来ることから少しでも北条を良い町にしたいと思ってます。

ラジオ番組やFacebook、
HPなどで地道に北条の情報を伝え続け、
畳の目ずつでも北条を好きになってくれる人が増えるようにお役に立てればと。

こんな素晴らしい海があるところに住まわせてもらっているのですから。


風早社中、3年目に突入です。