さて、先日、今年我が家に誕生した長男とお隣の友人の長男合同で亥の子さんが行われました。亥の子さん?僕が生まれ育った町にはなかった風習なので何が起こるのか興味津々。
夕方、土手内地区の子供たちがぞろぞろとうちの庭に集まってきます。
亥の子(北条市誌より)
旧暦の10月(現在の11月)亥の日を祝って亥の子をつく。
北条地方は、石製の五輪型の亥の子であるが、小中学生がつくことになっている。
前日の晩、男の子の生まれた家が「亥の子宿」になって祝い、丁寧に祭壇を祀る。
このとき北条では色とりどりの「亥の子旗」を立てる。明治以前は白旗(紙)であったというが、今は布の色旗を使い、家紋と祝う子供の名前を入れる。
19時になると石をつきながら祝い歌を歌って祝ってくれます。
亥の子歌(地区により様々)
♪お亥の子さんのみょうには、一に俵を踏まえて、二でにっこり笑うて、三で酒を作って、四つ世の中良いように、五ついつもの如くに、六つ無病息災に、七つ何事ないように、八つ屋敷を広めて、九つ小蔵を立て並べ、十でとんと治まった。 もうよかろ!
この子供たちが甲高い声で歌う歌が、なんとも良いのです。
余談ですが、上にある子供が亥の子石につながるロープを持っている2枚の写真、よ〜く見ればオーブ(玉響)と呼ばれる不思議な光の球があちこちにたくさん写っています。不思議なのは同じ条件で他にもたくさん写真を撮っているのですが、亥の子歌を歌い始めてからの写真にだけこの光が写っていることです。オーブ(玉響)が写った写真は心霊写真の一種とされ、ご先祖の霊が帰って来たときに写るとか、妖精などの自然霊が正体とか言われることがありますが、さて本当のところはどうなんでしょうか。なぜ歌い始めた後のシーンの写真にだけ光の球が写ったのか?子供たちの亥の子歌が喜ぶ先祖を呼んだのでしょうか?それとも、湿度などの関係なのか?偶然か?あなたはどう思いますか?
それはさておき、亥の子という行事、調べてみますと、亥の子とは朝廷の行事が地方に及んでいった一例だそうで、「亥日餅」または、「亥子餅」の伝えられたものだそう。その昔の「餅」を中心とした行事が姿を変えて農業神として、或いは漁業に関連した夷(恵比寿)様信仰と習合して、或いは商業の神として祀られてきたようです。
田舎に残るこういう良い風習はいつまでも残していって欲しいです。
亥の子さんが終わった後は、みんなで公民館に集まってぜんざいを食べました。子供たちはお菓子とご祝儀を山分け。みんないい笑顔でしたよ〜。