2011年6月27日月曜日

七十九章 昔の写真より

所用のため今治の実家へ帰ると、テーブルの上に昔のアルバムがありました。うちの親が見ていたようです。

アルバムを開くと、赤ちゃんの頃から小学6年生までの写真がずらり。その中に、鹿島で海水浴をしている写真を見つけました。1973年とありましたから今から38年前、私6才。

時は、ベトナム和平、ウォーターゲート事件、買い占め騒ぎ、超能力、ツチノコにブルースリー・ブーム、ジュリーにフィンガーファイブ、「神田川」や「てんとう虫のサンバ」が大ヒット、大卒の初任給が6万3499円で、昨日お亡くなりになったピーターフォークが演じる刑事コロンボの「うちのかみさんがね〜」のセリフが流行し、土曜の夜、子供たちはテレビの前に集まり「8時だよ!全員集合〜!」に釘付けになっていた1973年、あの頃の写真。


ちなみにこの年は、風早社中顧問の早坂暁先生が脚本を手がけたNHKの時代劇「天下堂々」が放映開始した年でもありました。
どうでしょう鹿島のこの賑わい!!!

夏休みに家族で遊びに行った鹿島での楽しい思い出。そう、僕の中には「鹿島」には、いい思い出しかないのです。

この写真の中の子供たち、お父さんらが、自分の子供、孫を連れて遊びに来てくれるような島になればいいなあ〜と。そういう島にしましょうよ。

2011年6月16日木曜日

七十八章 鹿島が全国ネットで!

今日、日本テレビ系列の午後ワイド番組「ミヤネ屋」の全国放送で鹿島が映ったんですよ。

といっても、本の表紙なのですが。今日は四国遍路の特集をやっていて、家田荘子さんがゲストでした。その中で、先日発売された今月号の「四国旅マガジンGajA」の中の写真や表紙が紹介され、必然的に鹿島も映ったというようなことです。

これを機に雑誌を手にした人が「表紙の島はどこだろう?」と興味を持ってくれることはよくあること。こういう地道な露出が大事(笑)。

2011年6月12日日曜日

七十七章 正岡地区まちづくり協議会発足

6月11日(土)、北条正岡地区のまちづくり協議会の発足式が正岡小学校にて行われ、区長さんから司会を頼まれ、参加させていただきました。

農繁期の土曜、それも朝から大粒の雨が降る日にもかかわらず地元の大勢の方々が次々に体育館に集まってきます。椅子が全部埋まりました。総勢150人以上。正岡地区の熱さを感じます。

正岡地区には、「国津比古命神社」というとても立派な神社があります。神社のあるこんもりとした鎮守の森は、上空から見ると前方後円墳になっています。古の時代からこの辺りは災害が少なく、有力な豪族がいて、食うに困らない場所だったという事でしょう。正岡地区には立派な門構えの古民家がとても多いです。そういうところなんだなと思わせる景色があちらこちらにあります。

小林一茶の句碑がありました。小林一茶が旅の途中この辺りに立ち寄り、門田さんという裕福な庄屋さんに接待を受け、ご挨拶句を残しています。
「門前や 何万石の 遠がすみ」

正岡公民館には大型デジタルテレビが据え置かれ、農家の皆さんがパソコン上のパワーポイントを使って会議をしてます。(あんまり関係ないか?(笑))

また、正岡地区は全国の正岡さんの発祥の地とも言われています。だから正岡子規さんや、元中日ドラゴンズの正岡選手なども正岡地区とは無関係ではないでしょう。正岡家は元々は河野家の分家です。門田という姓も同じ。

秋祭りの時、国津比古命神社の宮入りの際に行われる「神輿落とし」は圧巻で、なんと境内の階段からお神輿を放り投げ、壊れたお神輿からご神体を取り出し、翌年新調されるお神輿にそのご神体をお祀りするという全国でも珍しい荒行事です。
最近はよくテレビのニュースなどでも取り上げられていますが、最初見たときはどっきりカメラかと思うほどびっくりしました(笑)。

なぜこんなことをするのか?正岡公民館の館長さんにお伺いしたら、
「去年のものは去年のもの。新しい年には新しい神輿をご神体にご提供する。ということでしょう」と。

贅沢。正岡地区は、北条という所は、やはり昔から恵まれた場所だったんだな〜と確信が持てました。

2011年6月8日水曜日

七十六章 加藤先生

先日の夕方、初老のご夫婦が私の家に訪ねてこられました。

どなたか尋ねると、私が通った今治市立富田小学校の、5年6年の時の担任だった加藤先生の妹さん夫妻でした。区長さんに私の住所を尋ねてやっとの思いで家にたどり着いたとのこと。

「私の姉が朝日新聞に掲載された「ドテウチーズ」北条のまちづくりの記事を読んで、是非久しぶりにあなたと話がしたいと言うとります。電話してもよろしいじゃろか?」と。

「もちろんです。」
「私も姉も北条出身じゃから北条のことを想ってくれるのはうれしいんですよ」
「ご実家は北条のどこ辺りですか?」
「駅前の安井と言います」
「えええええ〜!安井さん?、、、。今日ご挨拶に行ったばかりです!」

驚きました。北条駅前活性化のために今改装をしている駅前店舗のお隣の家が安井さん宅。ちょうど工事が始まったこの日、「お騒がせして申し訳ありません」と、ご挨拶に伺った家が私の今治の小学校時代の担任の先生のご実家だったとは、、、。いやはや、ご縁ですね〜。

聞けば、安井家は代々みなさん教員の家系で、風早社中のメンバーの中にも「北条北中学時代に安井先生に英語を教わった」という人が大勢いました。やはり世間はせまいです。

現在86歳の加藤先生ですが、高縄小学校(現在の粟井小学校)などで教鞭をふるった後、結婚を機に今治へ。そこで私とつながったわけです。厳しいけど頼りがいのある先生で、家にも何度か遊びに行ったことがありました。

昨日、その加藤先生からメールが届いてました。

「先日娘がパソコンに入った北条鹿島風早社中HPをコピーして持って来てくれました。
夕方から虫眼鏡で読みふけりました。熱意と行動力がひしひしと伝わって来て感動しました。そして故郷が北条の私には感謝の一語につきます。懐かしいきれいな風景とお祭りなど昔を思い出させてくれました。


娘は小学校の時、じいちゃんに腰折山の話を聴いて面白く社会科で発表したそうです。母は醤油屋の「忽那うめこばあちゃん」と友達でよく話をしていました。産後のちぬも食べたものです。


時間が経つのも忘れてホームページのまとめ読みでした。今度ばかりは頑張ってパソコンを習っておけば良かったと反省しきり★花彦ちゃん、成長が楽しみですね。私も曾孫1さい7か月の男子がいます。ではまたね!!」


先生、勝手にメールをHPに載せてすみません。故郷を想ういいメールを皆に見て欲しかったもので。


ちなみに加藤先生は早坂暁先生のお姉さまと同級生で、富屋勧商場にも文房具などをよく買いに行ったそうです。


「花へんろ」の世界そのままを見て育った世代なのですね。今度今治に行った際に先生を訪ねていろんな話を聞かせていただこうと思います。





2011年6月6日月曜日

七十五章 真之さん

昨日、「子規博開館30周年・子規没後110年祭」本木雅弘(俳優)×菅康宏(松山市出身 NHKスペシャル大河ドラマ坂の上の雲・エグゼクティブ・プロデューサー)×天野祐吉(子規博名誉館長)トークライブが道後の子規記念博物館にて行われました。

NHKスペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」の役作り、キャスティング、などの舞台裏の話や、時代考証、人物考証の話を中心とした面白い会談でした。

現在「坂の上の雲」で秋山真之役を演じる本木雅弘さんとは、1994年公開の映画「LAST SONG」で共演させていただいたことがあります。脚本は、北野武監督の「その男、凶暴につき」などの脚本も手がけた故野沢尚さん。ドラマ「坂の上の雲」の脚本も彼が手がけました。まだドラマ化も決まっていない頃、「坂の上の雲をめざして」という深夜の若者向けラジオ番組を担当させていただいたことがあり、地元松山の地にて、本木さん、野沢さんの影を踏むことになったことにとてもご縁を感じています。

ちょうど18年前の今頃は、本木さん、安田成美さん、吉岡秀隆さんらとともに福岡のウイークリーマンションに一ヶ月間泊まり込み、博多界隈で映画のロケをしていました。僕の演じた役は本木さん演じる「シュウちゃん」の幼なじみ「ケンボー」。今映像を見ても恥ずかしいくらい素人の大根役者でしたが、ラストシーンで交通事故で死んだ僕のために、上京していた本木さんが博多に帰って来てくれるというおいしい役だったので、今でも博多の映画ファンからは「ケンボー」と呼ばれることがあります。

当時から本木さんはとても真面目で熱心な方で、「僕はジャニーズ時代学校に行ってなかったから、人よりも多く本を読まなければいけないんです。」と言って、いつもロケ現場に本を山のように持ち込み、時間が空けば本を読んでいました。

昨日、イベントが終わって松山市の方が気を使っていただき、本木さんの楽屋に案内していただいたのですが、久しぶりにお会いする本木さんの前では20才代に戻ったような気持ちになり、背筋が伸びて、嬉しいやら緊張するやらであたふた(笑)。

もっくん、まぶしすぎるぜ!

しどろもどろになりつつも、
「今、ここから車で30分ほどの所にある北条地区という所に住んでます。渥美清さんも愛した良いところです。機会があればこっそりお忍びで来てください」と。

(本木さん)「渥美さんが愛してたってことはそこで何かロケをしたことがあるの?」
(私)「はい。早坂暁先生の名作「花へんろ」の舞台、ロケ地にもなった町です。」
(本木さん)「え?花へんろは見たことある?うちのかみさんが出てるんだよ」
(私)「ご縁ですね〜。もちろん見ました。当時、樹木希林さんの娘さんがドラマに出ることになった経緯なども先日、早坂先生にお伺いしました。」
(本木さん)「ビデオとかあるのかなあ〜。見たいな〜」
(松山市職員さん)「じゃあ送ります!」
(本木さん)「やった。早坂先生の素晴らしい○○という作品に僕も出演させていただいたことがあるんだよ。子供産まれた?」
(私)「はい。」
(本木さん)「うちもまだ1歳半のがいるから大変だよ」
〜云々割愛〜
緊張してて上記作品名忘れちゃいました。見たいな〜その作品。

別れ際に、「まちづくりかんばってね」と言ってくださった本木さんが北条駅前にこっそり現れ、鹿島で一杯やれる日を心待ちにしております。

今年の年末放送のNHKスペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」第三章はいよいよファイナル。一章二章に続き、松山市の視聴率が圧倒的に日本で一番の数字をたたき出せますように。ちなみに、坂の上の雲の主役である秋山兄弟、正岡子規も元を正せば河野家の末裔。ルーツは北条です。

2011年6月2日木曜日

七十四章 松大甲斐ゼミ調査研究

卒爾ながらお願い申し上げます。私は松山大学法学部に在籍し、同大学甲斐准教授のゼミにおいて行政学を学んでおります
 
現在、専攻の関係から地域活性化とまちづくりをテーマに調査研究しております。先月22日付の朝日新聞地域面で北条鹿島について紹介する記事が目に留まりました。記事を読み興味がわいたため、大型連休中に鹿島を訪れてみました。
 
また、鹿島について調べていくなかでNPO「北条鹿島の風早社中」の存在を知りました。そこで、私たちの班では研究対象を鹿島と北条の地域活性化とまちづくりとし、研究発表をしようと考えました。
 
 つきましては、NPOを立ち上げた経緯や活動内容、鹿島の魅力などお教えいただきたくメールを差し上げました次第です。ご多用中の処、恐縮ではございますが、ご教示くだされば幸いに存じ上げます。

こんなメールが風早社中に届き、先日南海放送のロビーにて学生さんたちと一時間ほどいろんな話をしました。彼らは今大学二年生、これから一年間、鹿島や北条のまちづくりについてしっかりと調査研究してくれるそうです。共にがんばってゆきましょう!

輪はどんどん広がってゆきます。ありがとう。